2013/06/10 STAFF BLOG

 「パノラマ」という言葉は、18世紀末にロバート・バーカーという画家によって発明されました。彼はエジンバラやスコットランドの風景を極端に長く描いた絵画にパノラマというタイトルを付けました。絵画は半円状のキャンバスに描かれており、観客はその円の内側に立つことで、あたかも風景を目の当たりにしているかのように、絵画の世界を体験したといいます。非常に興味深いことに、パノラマはその登場時点から展示方法と密接に結びついていたのです。ちなみに当初のパノラマ作品は360度全周ではなく、180度の風景でした。

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Panorama: London from the Roof of Albion Mills, 1792, Robert Barker (1739-1806)

 これまでの絵画とは一線を画する視覚体験に観客は魅了され、バーカーの興行は好評を博しました。人々の要望に後押しされ、彼は次々と新しい作品を発表していきます。ロンドン近郊ばかりでなく、遠くアテネやリスボンの風景もパノラマとして、観客の前に再現してみせました。さらなる体験を観客に届けるために、彼は世界初の360度全周パノラマ絵画を描きました。ロンドンのアルビオン製粉所の屋根からテムズ川を望む風景です。彼の展示には毎度たくさんの観客が詰めかけ、ついには専用の展示館を建設するまでにいたりました。ロンドンのライチェスタースクウェアにあったというバーカーの展示館は現存しませんが、現代には設計図が伝えられています。

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Section of the Rotunda, Leicester Square, in which is Exhibited the Panorama, 1801 (aquatint), Mitchell, Robert (fl.1782-1835) / Private Collection / The Bridgeman Art Librar

 展示館の図面に目を通すと、その設計には実に巧妙な演出が隠されている事が分かります。建物の入り口から展示室へ向かうには、観客たちはまず通路を通る必要がありました。暗い通路に目が慣れた頃、不意に観客の目の前には展望が開けます。眼前に広がるのは一面の異国の風景。観客はあたかも外にいるかのように錯覚します。ちょうど胎内巡りのように、暗い通路は異世界へと通じるトンネルになっているのです。
 展示室の中にも、リアリティを演出するための工夫がいくつも用意されていました。例えば、観客の頭上にはひさしの長い屋根がつけられていました。上を見上げても屋根のおかげで絵画の切れ目が見えなくなっているのです。また、部屋の照明はわざと暗くされていたと言います。故意にディティールを見えにくくすることで想像力によってリアリティを補う効果を狙っているのです。(この技法は日本の覗きカラクリにも通じています)

 パノラマはまさに登場時点からバーチャルリアリティのメディアだったのです。後年のパノラマ写真は、むしろPanoramic Photo(パノラマ的写真)であってパノラマそのものではないと言っても良いでしょう。また、どちらかというとパノラマ自体は絵画ではなく、興行であったことも注目に値します。たまたまリアルな風景を表現できる技術に絵画が存在しただけで、絵画としての芸術性とパノラマの価値は無関係です。パノラマの価値は、リアリティを演出するエンターテイメント性にありました。現代のパノラマVRを扱う我々にしても、この点は無視できないと思います。パノラマVRと写真の関係が、19世紀のパノラマと絵画の関係と相似していても不思議はありません。

 次回は、パノラマVRの価値について考察していきたいと思います。